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2020年07月13日

生きているということ。

コロナ、豪雨、災害など、毎日のように暗いニュースが多い昨今、

「今日は何人のかたが亡くなられました」

というフレーズに聴き慣れてしまった感がある。

というのも、毎日報道されることで当たり前のフレーズになってるからだろう。

ところが、昨日、「亡くなった」という言葉の重みを感じる出来事があった。

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今年もウチは正月から仕事場を開けていた。

そこにお客さん。

と言っても、毎日のようにウチの自販機でコーヒーを買胃に来る裏の工場で働くオッチャン(と言っても、50歳ぐらい)だった。

身長も185cmぐらい、体重も100キロぐらいあるらしい、いたって健康そうなオッチャン。

もうエエ年やのに、2ストDioの改造のことで相談にきたり、25年前のアルトワークスを購入する相談を受けたり、18歳ぐらいから時間がの止まってるおっちゃんやった。

今になって昔できなかったことができるようになり、楽しくて仕方ないらしい。
ミッション乗ったことないから、「次はNS-1買って練習しようかな?」なんて言っていた。

毎日仕事帰りにウチの工場に立ち寄っては、そんな30年前の子供がしそうな原チャと軽自動車の話を楽しそうにしていた。

そんなオッチャンが、今年正月、原チャでいじってたらウチが開いてたという理由ででダべりにきていた。

正月が明けてバタバタしていて忘れたいたが、2月ぐらいになって「そいえばオッチャン見なくなったな〜。」と思っていた。

家も近所なので、2ストDioやアルトワークスで走ってる姿もよく見かけるのだが、それも全然見なくなった。

あるとき、工場の前に止めたいたアルトワークスがエブリィに変わっていた。

「こりゃ、事故したな。入院してるか、事故したのが恥ずかしいからウチに来れないんかな?」

ぐらいで思っていた。

その後も、相変わらずバタバタして忘れていて、気が付くとオッチャンを見ることなく半年がすぎていた。

昨日、オッチャンを知る別の工場の人と話す機会があり、

「最近オッチャンを見ないけど、事故でもしたん?」と来いてみた。

そしたら、意外な答えが帰ってきた。

「亡くなってん」

「事故してもちょっとやそっとじゃ死ななさそうなガタイのあのオッチャンが死んだって〜?」

僕は目が点になった。

「正月明けに肺炎になり、そのまま一度も工場に出社することなく亡くなってん」

たしかに正月、ウチに来た時いつもより咳をしていた。

ヘビースモーカーだし粉塵の出る仕事だからいつも咳してたので、さほどおかしいとは思ってなかったが、「肺炎」と聞いてピーンときた

「コロナだ・・・。」

でも、コロナではなかったらしいとのことだが、一月はじめの話。まだ誰も日本にコロナが出てない時の話だ。

肺の弱ってる人は重症化するとニュースで言ってたし、志村けんもヘビースモーカーだったらしいし。

まして、あんな健康そうなオッチャンがわずか10日ぐらいで死んでしまったというのに、コレがコロナでなければ説明がつかない。

さすがに落ち込んだ。

最近オッチャンのことを忘れていたとはいえ、亡くなる数日前まで毎日のように話していた人がもうこの世に居ないということは、なかなか受け止め難い。

去年、「横のオバチャンも最近見ないな〜」って思ってたら、脳梗塞で亡くなっていた。
朝普通に出勤し、職場で倒れ、そのまま亡くなったらしい。

2年前には同級生も脳梗塞で亡くなった。

みんな普段健康そうな人だった。
そんな健康そうな人でも、いとも簡単に死んでしまうもんなんだ。

事故もそうだ。暴走車両に跳ね飛ばされ亡くなるニュースだって、明日は我が身かもしれないのだ。

死後の世界はわからないが、少なくともオッチャンは、自分の気に入ってたバイクと車を置いてこの世を去った。
きっとまだまだ改造したかったに違いない。

生きてれば、したいことはできる。

「生きてるだけで丸儲け」

まさにそうなのかもしれない。

人はいつ死ぬか、きっとわからない。

だから生きてる間はせいいっぱい生きて、後悔のないように生きようと改めて思った。
posted by あんぽん at 10:50 | 大阪 ☔ | 日常のできごと

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